Ndank Ndank Senegal

セネガルの村で青年海外協力隊として暮らす、私の日常。
(ndank ndank:ウォロフ語で「のんびり、ゆっくり」)
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セネガル2年間を振り返る(後編)
続編です。

2年間の活動についてです。

私は活動で何か変化があったり、大きなイベントをしたり、発見があったときにこのブログを書いていたので、このブログを常々読んでくれていた人からすれば、ひょっとすると、私がすごく積極的に活動に勤しんでいたように感じたかもしれません。
しかし、自省するところでは、多くの隊員たちは私よりももっと積極的に活動をしていたと思います。
これは私の性格でもあるのですが、どうしても、事は思いどおりにうまく進めたい、失敗したくない、意義ある成果につなげたいという考えがあって、そのためにあれこれと理屈っぽく計算するんです。
しかし、まー、考えてみれば、日本から来た若造がセネガルで事を思いどおりにうまく進めるなんて、相当難しいわけです。
少なくとも、日本でよりも難しいです。
そういうわけで、ちょっと想像するだけで、「どうせ○○だから無理」とか、「こんなことをやっても意味がない」とか、開発ワーカー気取りで、「継続性がないからダメ」などということばかりが容易に思い浮かんできます。
それで、自分の活動の軸としていた養蜂以外にはあまり、手を出そうとしてきませんでした。
一方、どんどん、挑戦的な活動をしている他の隊員を見ても、内心、「それ、意味あるの?」とか、「疲れるだけやん」と思ったりもしていました。
でも、ただ疲れるだけで大した意味もなく、継続性もない活動でも、そんな活動をやっている隊員の方が、俺より偉い!と、ある頃から思うようになってきました。
何が偉いのか?、と問われると、それを理屈で説明するのは少し難しいのですが、しかし、直感的に、そう思うようになってきたのです。

そういう反省を経て、手間、成功する可能性、意義、継続性も無視して手を出したのが、国際文通交流でした。
メディナサバ第二小学校から文通の話を持ちかけられたのが12月で、私が村を離れるわずか3か月前。
しかも年末年始は冬休みもある。
村には郵便局がなく、県庁所在地の郵便局は紛失が多く、結局、州都の郵便局を使わなければいけない。
郵便が届くまで、片道1週間ぐらいかかり、郵送料、郵便局での受け取り代もかかる。
小学生同士だと、双方が英語で手紙を書くこともできないので、私が40通を日仏・仏日の翻訳をしなければいけない。
学校からの文通の要望を断る理由だけはどんどん、頭に浮かんできましたが、先の反省があったので承諾。
そして、この文通はセネガルからの2便目までが終わり、つい昨日、高松の小学生たちが書き終えた2通目の手紙を小学校へ受け取りにいってきました。
私が帰国してからも続く方向で進んでいます。
日本のことをほとんど知らないセネガルの子どもたち、セネガルのことをほとんど知らない日本の子どもたちがそれぞれ、この文通で何かを感じてくれることを願って。

こんな感じで、2年間の任期を無事終え、日本へと帰ってきました。
日本人はよく働くし、よく考えているし、約束を守り、失礼を避け、相手のことを思いやり、街並みも清潔できれい。
ただ、帰国して最初過ごしたのが東京ということもあってですが、日本に帰ってきての第一印象は、商業広告のうるさいこと。
悪意もない、ごく普通の広告なのですが、スタイリッシュだったり、やさしい言葉づらと、かっこいいお兄さん、きれいなお姉さんの写真を使って、結局は商品を買わせよう、塾に通わせよう、会員にさせよう、契約させようなどという話で、ようは、金を使わせようというメッセージが東京には氾濫して見え、嫌でし た。
セネガルみたいに、面と向かって「金くれ!金くれ!」なんて言う人は日本にはいませんが、逆に、セネガルでは視覚的に「金くれ!」というような商業広告は首都以外ではほとんど見ませんでした。
タバスキ(イスラム教の犠牲祭)が近づけば、何となく、もうすぐでタバスキだという雰囲気が村にはあふれていました。
一方、日本ではクリスマスも母の日も、何か、商業広告に押し付けられているような感じがしませんか?
何でも商売、ビジネスチャンス、というか、拝金主義な社会というか。
別にそれが悪だとは当然言いませんし、私自身も、セネガルに行くまでは一会社員であり、営業マンでもありましたし。
でも、セネガルから帰ってきてすぐの時点では、ああいった広告のうるささが嫌でした。

そうは言っても、これから日本に居を構え、仕事を見つけ、暮らしていきます。
ちょっと町ですれ違っただけでは、この人(俺)がまさかセネガルで2年間過ごしていた人だとは分かりません。
でも、行ってました、セネガルに2年間!
頼まれさえすれば、その経験を還元していくつもりです。
既に何件か、その依頼もいただいていて、極力それらすべてに応えていこうと思っています。
国民の税金で行かせてもらったセネガルなんだから、それぐらいの還元は喜んでします。

さて、これでNdank Ndank Senegalのブログも一旦、更新を終了しますかな。
もし今後、セネガルのことで動きなんかがあれば、更新するかもしれません。

帰国後もブログをやってみます。
続編は「
んだんく うどん」です。
まずは、4/16から5/19まで行っていた、東欧の旅行記をぼちぼち書いていこうと思います。
| 若宮 武 | - | - | - | - | - |